一生懸命にお店を守る【馬鹿】でありたい|和菓子処 かんだ和彩 神田 武治|『週刊フードラボ』#04

今回のゲストは、和菓子処 かんだ゙和彩店主の神田 武治(かんだ・たけはる)さん。専門学校を卒業後、千葉県、京都府にて和菓子の修行を積み、現在では熊谷市で 和菓子処 かんだ和彩でお客様に美しく美味しい和菓子を届けている。常に笑顔の武治さんの胸の内には、秘めた和菓子への熱い想いとこだわりが垣間見える。一生懸命走り続ける姿に心打たれた。

目次

職人のDNAを受け継いだ

かんだ和彩の「わさい」は、家業の「かんだ『和裁』」を受け継いだものである。和服の仕立てを家業としており、小さい頃から職人に囲まれた生活を行っていたため、職人の世界で生きていこうと考えていた。

武治さんが、お菓子の世界に興味を持ったきっかけは、中学生の頃に遡る。ふと見たテレビ番組に映っていたのは、皇室御用達の和菓子職人の姿。お菓子の材料で作る造形作品「工芸菓子」を披露していた。

手先が器用な武治さんは、そのままお菓子の道を突き進むことを決めた。結果として和服の仕立て屋は継がなかったものの、職人の世界を教えてくれた家業への尊敬の気持ちは持ち続けていた。その想いから「裁」を「彩」に変え、のれんをあげたのである。

「楽しみながらおいしいと食べて欲しい」

店に並ぶのは、小さな団子が5つ松葉ぐしと呼ばれるくしに刺さった「炙り団子」や、美しい形をした上生菓子といった関東では珍しいものばかりである。これらひとつひとつに武治さんのこだわりが見える。日本菓子専門学校で、お菓子の技術の基礎を学んだ後、千葉にある「菓匠 白妙」で5年間の修行を積んだ。修行の後、どうすべきか悩んだ時期に泣きそうになりながら親に相談をしたのだという。そこでもらったのは「好きなことをしなさい」の一言。その言葉に背中を押され、憧れのあった京都での修行を始めた。「京菓匠 游月」での11年間の修行である。関東と関西では和菓子も違う。

武治さんが言うには、関東の上生菓子は写実的であるのに対し、京都は抽象的。できるだけシンプルであることが美徳である。京都での学びから、お店に並ぶのは丸みを帯びた上生菓子がほとんどである。この形が桜なのか?と考える人もいるかもしれないが、「一人ひとり考えることは違うから、『どこが桜なの!?』と楽しんで食べてくれたら。」と武治さんは語る。こだわりはもう一つ。お客様がお菓子を口にするときの食感への違和感をなくすことである。角のあるお菓子は、乾燥して食感が変化してしまうことがあるそうだ。しかし丸みがあることで、こうした違和感を取り除くことができる。修行で培ったこだわりは、美味しく楽しいお菓子作りにつながっている。

「店長の気まぐれシリーズ」

お客様から評判の高い商品の一つに「店長の気まぐれ」がある。Instagramで告知をし、その当日だけ販売をする限定商品だ。きっかけは、お客様にもらったたくさんの桃を一晩にして「桃大福」に仕上げて販売したこと。この桃大福が反響を呼び、以後武治さんの気まぐれで作ったお菓子が店に並ぶようになったのだ。しかし「気まぐれ」と言っても決して力は抜かない。寝不足になるほど時間をかけて作る大切な一品である。こんな風に時々出る変わり種もまたお客様を喜ばせている。

「その人が一日中考えていることがその人である」

「おいしい。」その一言が、修行や店舗経営などの悩みを払拭してくれるのだと言う。お客様の「おいしい」のために一日中和菓子屋かんだ和彩のことを考えている。アメリカの思想家エマーソンの言葉、「その人が一日中考えていることがその人である」から、「かんだ和彩は僕自身である。」と武治さんは言う。自分の調子がよければかんだ和彩も良い。反対に、自分が落ち込めばかんだ和彩も落ち込んでしまう。だからこそ、一日中笑顔でいようと考えているのである。武治さんは、自身の今後について、「『馬鹿』でありたい。」と話す。

武治さんにとっての「馬鹿」とは、大切なもののために一生懸命に走り続けること。今日もお店とお客様のことを考え、美しい和菓子を作っている。

※本文は、2019年12月2日の放送内容をもとに編集したものです。掲載情報は放送日当時のものです。ご注意ください。

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