歴史とお茶文化を【継続】させる才能|茶の西田園 代表 小林伸光|『週刊フードラボ』#2

今回のゲストは、茶の西田園代表の小林伸光(こばやし・のぶあき)さん。歓喜院聖天山の西側に位置する店舗には、様々なお茶を取り揃えている。明治元年から愛され続けるお店を支える小林さんは、親子三代で紡いできた想いをお茶の文化とともに地域に根付かせつつ、新しいことにも挑戦し続けている。「継続することは才能である。」と語る小林さんは、妻沼の地で長くお茶文化を根付かせながら、地域と人々とを結び付けていく。

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「3年で帰るわけにはいかない」後継としての覚悟

高校を卒業した小林さんは、陶器の国内シェアNo.1のメーカー、「西海陶器株式会社」に就職する。営業力をつけるために3年間の修行に乗り出した。しかし3年間で学んだのは倉庫管理と配達業務。これでは「お店の役に立つことができない。」とさらに3年間営業のノウハウを学び、父のもとへ帰ってきた。父に「お店を継げ」と言われたわけではない。自然と「継がなければならない」という意識を持っていた。実家に帰って家業を手伝うようになり、「今まで知らなかった親の苦労」を知ったという。「うちの店はいつが休みなのか聞いて初めて定休日ができた。」と笑う。

地元・妻沼と生きていく

家業を手伝い始めて少し慣れてきた頃、商工会青年部から声がかかった。空き家が目立ってきた妻沼の地で「何かやらなきゃ」という思いから、仲間に呼びかけて「駄菓子屋」をオープンさせた。長くは続かず、結局潰してしまったが「自分の店を魅力的にする」という思いが強くなった。小林さんは、「周りの人からは『やっぱりうまくいかないな』と言われることもあったが、学ぶことが多かった。」と当時を振り返る。自らの手で商品を手がけようとお菓子や粉ものに手を伸ばそうとしたこともあった。しかし「二番煎じ」になってしまう、とお茶を活かす商品開発に注力することに決めた。

そんな時に目を付けたのは「ほうじ茶」。これが後に「焦がしや武一」をオープンするきっかけとなった。

祖父の名「武一」を付けたこだわりのほうじ茶専門店

「焦がしや武一」は、祖父の名前武一から付けた店名である。小林さんは、「血の繋がりもなかった父に後を継がせた」祖父に尊敬の念を抱いているという。小林さんの父は、戦時中、疎開も兼ねて東京から妻沼へ連れてこられた養子であり、小林家に血の繋がりはないのである。しかし、「将来この子に面倒を見てもらうことになるかもしれない」という祖母の直感が、父を後継に迎え入れることとなった。そんな先代への感謝や尊敬の気持ちから「武一」という名前を使ったのだと語る。

焦がしや武一では、オリジナルのブレンドをした数々のほうじ茶が並ぶ。自らブレンドができるようになったのは、「特注の焙煎機」を手にしたからである。それまで取引先から希望に沿うものを発注してもらっていたが、自ら焙煎することで、理想の形を実現できるようになったという。

「1日でも長く継続させていきたい」

日々の生活の一部であるこの仕事を「歯磨きのように朝起きたら自然と取り組むものであり、なくてはならないもの」と表現する小林さん。その思いは小さい頃から変わらないのである。祖父から父、父から小林さんと紡いできた店への思いを胸に、妻沼の地で「1日でも長く仕事を続けて、お茶の良さを伝えていきたい。」と語る。その力強い眼差しは、未来を見据えていた。

※本文は、2019年11月18日の放送内容をもとに編集したものです。掲載情報は放送日当時のものです。ご注意ください。

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