巡り合わせが生んだ【自由】な発想|河内たこ焼妻沼 店主 川端浩三|『週刊フードラボ』#13

今回のゲストは、河内たこ焼妻沼店主の川端浩三(かわばた・こうぞう)さん。生まれも育ちも大阪で、ゲームクリエイターとして活躍していた。そんな川端さんが妻沼にやってきて、たこ焼き屋さんへ方向転換した背景には、たくさんの方々との出会いがあった。将来は「シャンゼリゼ通りで出店したい。」という大きな夢を持つ川端さんは、お客さんと地域への愛を持ってたこ焼きを作り続けている。

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「プログラミングなんてやったことがない!」

生まれも育ちも大阪の川端さん。20代の頃は、30歳になるなんて考えてもいなかったのに「今やアラカンですよ。」と明るく流暢な関西弁で自身の半生を振り返る。

30年前の川端さんは、新卒として生産設備設計を行う会社に入社した。当時はゲーム産業が盛り上がっていたこともあり、「ゲームクリエイター」への転向を命じられた。ゲームクリエイターは、ゲームソフトの制作や開発を行う仕事である。その一方で川端さんは、プログラミングを学んだこともなく、作成に関わったジャンルである「野球」の知識もほとんど持ち合わせていなかった。

しかし、「燃えろ!!プロ野球」の制作を担当し、これが大ヒットとなる。「愛されしクソゲー」の異名を持ち、ゲーム内の「ファウルの後どこに投げてもストライクになる」というバグさえも名作の要素とされ、ファンも多い。

大ヒットを生み出した経験から、専門学校での講師も7年間務めた。

名前すら知らなかった「妻沼」との出会い

周りからの期待もあり、順風満帆に思えたが、リーマンショックの波が訪れた。川端さんは、大阪から名前も知らない妻沼へ派遣された。生産設備のプログラミングを主に担当していたが、2011年転機が訪れる。

記憶にも新しい「東日本大震災」である。この震災による計画停電がコンピュータを使う仕事の妨げとなった。職場であった工場が移転することとなり、このまま仕事を続けるかの選択に迫られる事になる。

そこで選んだのは「妻沼でたこ焼き屋さんを開店する」という事であった。なぜ「妻沼」なのか、それは妻沼でたくさんの方との出会いがあったからである。店を構えるまでは、「妻沼手づくり市」や「めぬまチャンネル」を通して、たこ焼きの販売を行ってきた。

人との繋がりを通じて、自分の店を持つという大きな決断に至ったのである。

夢はシャンゼリゼ通りへの出店

「河内たこ焼妻沼」は、大阪府の地名である「河内(かわち)」と埼玉県の地名である「妻沼(めぬま)」が組み合わさってできた屋号である。

「大阪の人から見たら妻沼は読めないかもしれない」

「埼玉の人から見たら河内は読めないかもしれない」

たこ焼きによって両県の人々の「会話のきっかけになってほしい。」と川端さんは語る。

将来の展望は、「シャンゼリゼ通りで『河内たこ焼妻沼』として看板を上げること」である。新婚旅行で訪れたフランスのオープンカフェにインスピレーションを受けたからだ。名前をそのまま残したいのは、「妻沼」という言葉が好きであるのと同時に、海を越えて会話のきっかけになってほしいからだそうだ。

たこ焼きを作り続けるのは、お客様の顔が見えるから。前職では目の前の仕事に集中した「職人」だったからこそ、目の前のお客様のためにたこ焼きを作ることに喜びを感じているのだという。川端さんは、自身が作るたこ焼きを「納得して買っていくお客さんがいるからこそ続けていける。」と語る。

妻沼から世界を見据える川端さんが、自由な発想で妻沼の名前を世界中に広めていく、そんな姿が目に浮かんだ。

※本文は、2020年2月10日の放送内容をもとに編集したものです。掲載情報は放送日当時のものです。ご注意ください。

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